骨を見る

欲しいものはない
行きたい場所もない
もしきみに会えるなら
できればこの世で


きみの服を剥いで
きみの皮を剥いで
肉や臓を食らい
骨をしゃぶったとき
やっときみに会えるのか?
それともすでにきみはいないのか?


飛行機に乗っても
高速を飛ばしても
きみに会えないのならば
この世もむなしい


手に入れたものも
手に入れられなかったものも
遅かれ早かれいつか土に還る
形あるものはすなわち空っぽでありつつ
いまここでこの胸にあるものは形あるきみでもある
ゆっくり呼吸を数えて
100億数えてからきみに会いに行く
時間がそもそもないように
そもそもありもしない煩悩に振り回されて
きみを見失わないように
鏡を見て
わたしの皮を剥ぎ
肉も血も袋も捨てて
わたしの骨を見る
きみの骨と
わたしの骨が
会いたかったよと
手と手をとりあうことができますように

凡夫

9・11で約3千人のいのちが奪われた
イラク侵攻以降、4千人以上の米軍兵士のいのちが奪われ、
イラク市民11万人以上のいのちが奪われたという


誰が何のためにうばったんだろう?


ウサマ・ビンラディンアフガニスタンソ連と戦うゲリラだったころ、
米軍は武器を供給していたという


USAの数々のヒーローに憧れ、
USAの文化を享受し、
USAに追従するこの国で生きているぼくらが、
いのちをうばうことにほんの少しも加担していないと言えるのだろうか?


争いはいつから?
真に生きるためとは言えない殺生はいつから?
ほんの数千年??


後戻りできないなら、
言葉を捨てられないなら、
せめて生きるために殺生して、
南無阿弥陀仏

サマータイムブルース

あれは中学生のころだったろうか。
RCサクセションの素晴らしすぎるレコードが発売中止になったのは。
カセットテープが擦り切れるまで聴いた。
電力は余ってる、いらねえ、もういらねえ、とサマータイムブルースは歌っていた。
それからわたしは汚れつちまつて、純粋なこころを失つてしまつたのだろうか?
人類は、わたしは、もっともっと捨てなければならない。
すでに捨てても土に還らないものだらけではあるが。
遅くないなら、捨てて捨てて捨てまくらなければならない。
そして自己をも放棄したとき、この悪夢のような素晴らしすぎる世界を肯定できるだろうか。
ラジオでは沖縄にやってきたサンボマスターが、ロックンロール!とシャウトしている。
信じて続けることは偉大だ。
歌い続けている人たちを心底尊敬している。
捨てて捨てて自己をも放棄したとき、歌でも歌えるだろうか?
とにかく今は、捨てることだ。
放下!とシャウトしながら。

祈る

刑務所でも精神病院だろうと
生きていればまた会える
人類で死ななかった人はたぶんいないが
死んでもあの世で会えるかどうかは知らないが
どうか生きていておくれ
昔は留守番電話や公衆電話や待ち合わせ場所があり
なんとなく会えるような場所で待ち伏せしたりしたが
いまは携帯やミクシィツイッター?には着いていけなくなってしまった
新聞は毎日チェックしているしラジオも毎日聴いているが
連絡がとれない人には連絡がとれないままになってしまった
でもどうか生きていておくれ
東京の15年で10回くらい引越し30種類くらいアルバイトをし
100人の友と1000人のお知り合いと出会い
何万の人々とすれ違った
生きていればまたきっと会える

37歳の小悟

大事なことがいくつもあると思うから迷いが生じるわけで。
そんなものひとつしかないと思えばそれだけでよいのです。
ひとつはすべてにもなるしすべてはひとつにもなるのです。
ゼロか1でもなく2345でもなくのひとつなのですから。