迷走

クリシュナムルティ曰く、
「自己放棄における厳粛さが美である。
 厳粛さのないところに愛はなく、自己放棄がなければ美には何の真実もない。
 ここで言う厳粛さとは、聖者や僧侶、あるいは人民執行委員などが誇らしげな自己否定でもって行なう修行や戒律、権力や名声を得る手段としての修行ではない。
 厳粛さとはそうした荒々しいものではなく、自己を抑えるかたちでかえって自尊心を高めることでもない。
 それは慰楽を否定することでもなく、清貧や貞潔を誓うことでもない。
 厳粛さとは英知(インテリジェンス)の総和であり、それは自己放棄があってはじめて生まれるものであって、決して意志的行為や取捨選択あるいは慎重な計画によっては生まれない。
 放棄とは美のおのずからなる行為であり、厳粛さによる深い内的明澄さをもたらすものは愛である。
 美とは、一切の比量を超えたところにあるこのような愛に他ならない。
 そのときこのような愛はどのようにしても美である。」


禅蔵曰く、「……(沈黙)。」


クリシュナムルティ曰く、
「行為はあるがままの現実から離れたものではない。
 そのように分離させるところから葛藤と醜悪さが生まれるのである。
 このような分離がなければ、生きることそれ自体が愛の行為である。
 厳粛さの持つ深い内的な単純素朴さから、二重性を持たない生が現われる。
 そのような言葉なき美に出会うために精神がしなければならない旅こそは瞑想に他ならない。」


禅蔵曰く、「……(沈黙)。」


お茶を啜る。
寝る。