散文詩「なんて偉そうなことを言ってる自分は『人の話を聞いてない』とよく叱られる」

盆か。
終戦の日か。
ビール飲んで映画観て暮らしたいが、平常営業。
その他の雑酒なら年中たくさん飲んでるが。
盆を過ぎるとクラゲだらけでとても海には入れなかった。
でもそんなことより早く学校の友達とあそびたかった。
夏休みはいつもずっと田舎に行ってたから。
小学3年のとき死んだじいさんは戦争行ってバンバン撃ったと言った。
まさか日本が負けたとは思わない英雄伝だった。
大人になって原爆資料館や沖縄で見たものと同じくらいに、
自分にとってそれは今でも、ある意味、リアルだ。
何かを守るために戦うときは、丸腰の方がいい。
原爆を持ってても守りたいものがなければただの玩具だって、
太陽を盗んだ男」を観なくてもわかる。
強いアメリカがベトナムで負けたのは、
守るべきものを見失ったからかもしれない。
こないだある絵本をたまたま見せてもらった。
親が二人で、その親が四人で、その親が八人で…
だんだん増えてって、膨大なご先祖様が、
ページからはみ出すくらいに、描きこまれていた。
言いたいことが言える時代には、聞く耳を持たなければ。
生きてる人の声や、死んでる人の声を。
切腹してまで言いたいことがあれば、聞きたくないことも聞かなければ。
殺したくなるような烈しい情念を、人間は何に変えられるだろう?
祈りがいつか歌になるなら自分はそれをやろう。
歌うということは、出会った人の「歌にならない歌」を聴くことかもしれない。