動け!

最初から叩いてた人はともかく、
ここぞとばかりに某エモンを叩き始めた人たちは、
疚しいことがない聖人君子なのだろうか?
法治国家の民として、
言ったら元も子もないと知りつつ言うのだが。


逮捕者が報道されるたびに、
自分も紙一重だと思う、ろくでなしだから、
こんなことを思うのか?
誤解を恐れずに言えば、
容疑者や犯人に(ある意味)共感することさえある。


「戦争の定義は世界共通だが、平和の定義はそれぞれの主観により違う」
みたいなことを又聞きで聞いて、深みのある話だと思うのだが。
それすらも「例外はある」と思う。
一方は平和状態のつもりが一方は戦争状態のつもり…。
ひとりじゃ喧嘩はできないと言うが、「つもり」になることはできる。


こんなこと考えたてら、絶望的な気分にもなるが。
宗教にも救われない、ひとでなしの自分は、
音楽でブレイクオンスルーしようってこった。
「突破」でもいいよ。
ただひとつ確かなのは、待ってても「向こう側」はやって来ないってことだ。