否定の肯定

下北沢某所にて禅蔵一家のリハーサル。
音に触発され、言葉が溢れ、それがまだうまくは混じり合ってないかもしれない。
でも、そうしたいし、そうしないと、駄目よ。


結局のところ答えは無数にあって、「もし」も「たら」も「れば」もありはしない。
音楽で言えば、音楽の神様だか悪魔だか知らないが、そいつに導かれるままに行くだけで、自分で選べることは少しだけなのだ。
その少しがすごーく大事なのは言うまでもないけど。


それと自分が生活していく技術はまた別で。つながってるんだけど、ある意味違う力を発揮しなければならない。
音楽=生活も違うし、音楽≠生活でもない。
それは、自分が表現として音楽を選んだことに、ひとつ答えが隠されてると思う。


お天道様の下で、汗かいて土の匂いをかいで生きるのは、いつでもできるからこそ音楽をやる、というのは、あえて忙しすぎる街でやる、というのは、それ自体にひとつ意味が隠されてると思う。


で、つづく。